アイマイモコ通信

どこかにいる友達に向けて書いてます

今月の10冊

こんにちは、アイマ イモコです。

早いもので、年が明けてからもう1ヶ月が経とうとしていますね。

みなさん、元旦に立てた一年の計は、実行できているでしょうか?

私は、60個くらい立てた計画のうち、今のところ4つくらいしか実行できていませんが、とりあえず、ブログを書くということと、本を読むということの、大本二つを守れているので、まあよしとします。 1月末なんて野球で言ったらまだ1回裏ですからね、焦らずぼちぼちいきましょう。

 

3記事くらいで終わるかなと思っていたブログですが、曲がりなりにも1ヶ月続けることができました。すべて、読んでくださるみなさんのおかげです。ありがとうございます。次は、3ヶ月を目標に、地道に続けようと思っています。

さて、このブログ、今でこそ何だか混沌とした体験記ブログっぽくなっていますが、昨年の12月に衝動的に開設したときは、読書ブログにするつもりでした。というのは、当ブログは私がある読書会に参加した際に、そこに集っていた個性的な人々の活動にドリームをinspiredされて始めたものだからです。 

人付き合いが車の運転より苦手な私ですが、本という媒介物を通したおかげで、ありがたいことに何人かの方とネットを介した交流が生まれ、狭かった自分の世界がぐっと広がりました。本にも、読書会にも、こんな私と仲良くしてくれる優しいみなさんにも感謝です。

そういうわけで、顔の見える読者の方は、読書会で出会った方=本好きの人が多いと思われます。

ところが、気付けば、本に関する記事を、最初の1エントリーしかあげられていないという体たらく。

本好きの人々にとっては、どこの馬の骨とも知れないイモ女のアホーな日常より、本の話を書いた方がずっと喜んでもらえるのではなかろうか…。直接はお会いしたことのない読者のみなさんにとっても、その方がよっぽど有意義であろうことは想像に難くありません。

今更ながらこの考えに至り、赤くなったり青くなったりしている次第でありますが、まだ軌道修正するのに遅くはない!

と、いうわけで、今回の記事では、イモコが今月読んだ本を紹介させていただこうと思います。読書好きのみなさんが、新しい本に出会うきっかけになれば幸いです。

 

※紹介文は、すべてアイマ イモコの個人的な感想です。

※慢性金欠病により本はほとんど図書館で借りておりますので、新刊本はあまり登場しません。

Amzoアフィリエイトの審査が通らなかったので、リンクは貼っておりません。気になる本があったら、検索してみてください。

 

    ディーノ・ブッツァーティー著/ 脇 功訳 『タタール人の砂漠』 松籟社

時が過ぎることについての物語。時間が経過することについて、人間は哀しいほど無自覚で、無頓着だ。「カエルの釜茹で」の例えではないが、日常に浸っている間にもどんどん時間は経ち、ふと気づいたときには何もかも手遅れだった、というようなことは、あまりにも多くの人に起こりえる。本書の主人公も、何かが起こることを期待する、というただ一つの状態の中で、老い、病み、人生を終える。主人公は無為に過ぎた自分の人生を嘆くが、期待通りの物事が起こったとしても、それが彼に幸せをもたらしたかどうかはわからない。しかし、我々が彼の嘆きを我がこととして受け入れられるのは、彼が失った過去の可能性こそ、決して取り戻せないものだということを、実感しているからであろう。

 

    高野 秀行著 『西南シルクロードは密林に消える』講談社

ノンフィクション作家、高野秀行さんが、中国四川省からミャンマー(本書では、ビルマと表現されている)のジャングルを経由してインドに至る、西南シルクロードをほぼ徒歩で踏破する旅を記録したルポタージュ。高野さんは「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、それを面白おかしく書く」ことをモットーとしているという。その言葉通り、高野さんの著書はどれも、ぶっ飛んだ冒険の記録であり、大変面白い。しかし、面白くてげらげら笑いながら読む中に、時々悲しみや痛みが隠されている。本書でも、多数派民族から虐げられてゲリラ活動に走るミャンマー少数民族の姿が描かれている。ミャンマー少数民族と言えばロヒンギャの窮状が世界的に注目を集めているが、彼らの他にも主権を脅かされている少数民族が多く存在するのだ。彼らは、高野さんの抱腹絶倒の旅の仲間であり、多分に道化的な役割も果たすのだが、彼らが時折口にする政府への怒り、自らの土地と民族に対する思いには、ハッとさせられるものがある。高野さんは、その彼らの思いを、大げさに取り上げることなく、あくまでもさりげなく描いている。その淡々とした描写からは、しょうもない言動で笑いを誘うような人物が、また真剣な思想と行動力の持ち主でもあり得るという、人間の多面性が浮かび上がってくるようだ。

 

 

    レーモン・クノー/ 松島征、原野葉子、福田裕大、河田学 訳

レーモン・クノーコレクション4 『文体練習』 水声社 

バスの中で見かけたちょっと変な男を、バスを降りてから街で再び見かけた。

これだけの出来事を、99通りの文体で描いた、レーモン・クノーの実験作。

99の文体を一人で考え出し、ひとつの長編小説として成り立たせたクノーはもちろん神業だが、私が本書を読んで脱帽したくなったのは、翻訳者の方々である。

諸言語にはそれぞれのルールがあり、独特のコノテーションがある。言語はそれが使用されている国の歴史や文化を背負い込んでいるので、クノーが書いたフランス語の99の文体には、フランスという国の内輪でないと面白さがわからない表現が、多々あったはずである。

翻訳者は、単にフランス語を日本語に置き換えただけではなく、クノーの遊びを、見事に日本というバックグラウンドに移し替えて遊び返している。そのため、本書はフランス語のルールを知らない私たちが読んでも、クノーの仕掛ける言葉遊びに置いてきぼりを食らわずに、笑ったり感心したりできるのである。

本書の翻訳版は、いわばクノーと翻訳者の合作ともいえるのではないか。多言語に精通していれば、原書、また他言語の翻訳作品も読んでみたいと思わせられる。

 

    美智子 著 『橋をかける 子供時代の読書の思い出』 文春文庫

皇后美智子さまが、1998年にインドのニューデリーで開催された第26IBBY国際児童図書評議会)世界大会において講演された内容を、本にまとめた1冊。 

皇后さまが子供の頃に出会った本の思い出、そして、読書に対する思いが、まさに数珠のような美しい言葉で語られている。本当に言葉が美しいので、喋り方を身に着けたい人は、一読してみてほしい。しかも大変わかりやすく、皇后さまのお考えが手に取って渡されるように読者に伝わってくる。強靭でしなやかな教養が、このようなお言葉を紡ぐのを支えているのだろう。 しかし、お話の内容は優しいだけでなく、激動の時代を生き抜いてこられた方特有の、背筋が伸びるような、ぴりっとした一種の厳しさのようなものも感じられる。

 

    外山 滋比古著 『思考の整理学』 ちくま文庫

一時期売れに売れていたので、敬遠して今まで読んでいなかったが、読んでみたら、本当に役に立ちそうなことが書いてあって、しかも面白い。なんせ、30年以上も売れ続けているのである。ロングセラー、あなどるなかれ。

今まで「頭がいい」ということは、「多くを記憶している」ということであったが、コンピュータという、記憶という分野において人間という存在をはるかに凌駕する存在が登場した以上、人間は頭の使い道を、「創造する」ということにシフトチェンジすべきであるというのが、本書の主な主張である。 「創造」という分野においても、コンピュータが一定のクオリティを保った仕事をできるようになった昨今においては、もう「人間にしかできない分野を伸ばす」という方向ではなく、「機械の力をうまく取り入れて、新しい方法を模索する」という発想に切り替えていく方が現実的であろうと思われる。

難しいことを抜きにしても、駆け出しのブログ書きには目からウロコの情報が満載であった。いくつかの技は参考にして、発想力を高めたい。

 

    芝 健介著『ホロコースト ナチスによるユダヤ人大量殺戮の全貌』 中公新書

ホロコーストを、多くの学者、医者が容認したばかりでなく、推奨さえしたという事実は、我々を慄然とさせる。我々は、マスメディアにより、権力を疑う姿勢は多少なりとも教育されている。しかし、学者や医者などの知的専門家の権威を疑うことはできるだろうか。「よくわからないけれど、偉い先生が言っているので本当だろう」と、科学的な偏見に対して思考停止に陥ってしまう危険は、非常に高いと思う。また、権力やメディアにより、そのような知的権威に対する盲目的な信頼が悪用される危険性もある。そのようなことが行われた場合、我々一般市民がいかに人権に鈍感になり、他者に残酷になり得るかは、歴史がよく証明している。

本書の最終章に、ホロコーストは、ナチ党がずさんなユダヤ強制移住計画に行き詰った挙句、行き場のなくなったユダヤ人を減らそうと場当たり的に開始したものだという説が紹介されていた。無策は往々にして最悪の結果を生むのである。

 

    レイナルド・アレナス著/安藤 哲行訳 『夜明け前のセレスティーノ』 国書刊行会

某海外文学ブログで紹介されていて、破天荒な物語が気になっていた。南米文学は、なぜかシュールレアリスムマジックリアリズムと呼ばれる、日常と幻想がないまぜになったような記述法が好まれる傾向が強い気がする。

著者のレイナルド・アレナスは、中米のキューバ出身。解説で、本書はキューバの歴史もモチーフとして描かれているのだと書かれていたが、残念ながら私は南米史に不案内であるため、キューバ史のメタファーはよくわからなかった。しかし、熱帯のむせかえるような植物の気配は、随所に描かれている。多種の動植物が、過酷な家庭環境の中で息をひそめるように暮らす主人公といとこのセレスティーノを取り囲んでいて、ときに彼らの隠れ家となるかと思えば、彼らの足を引っ張る存在にもなる。自然と隣り合わせに生きる環境の中からは、季節が彼らに話しかけ、家族は死と再生を繰り返す。南米の空気というものが、マジックリアリズムの生まれる土壌を作っているのかも知れない。

また、子ども時代の未分化な妄想を追体験することができる本でもあると思う。幼いころに、自分の親しい人に危害を加えられるかも知れないという妄想を抱いたことのある人は、案外多いのではないだろうか。

 

    ノーマ・フィールド著/大島 かおり訳『天皇の逝く国で』 みすず書房

米国人の父と日本人の母をもつ著者は、戦後間もない日本で生まれ育ち、高校卒業後アメリカへ旅立った。本書は、そんな著者が19891月偶然昭和天皇崩御下の日本に居合わせ、その全国的な喪のムードの中で、終戦後に残された「戦争」の負の精神遺産と闘う人々の姿を追ったルポタージュである。

本書の3人の主人公に共通していることは、「常識」や「同調圧力」が支配する中で、問題に直面し、沈黙することなく自らの思想を世に問うたという点である。

インターネット等により言論の開放が進んだ現代においても、社会の風潮に反した言動をするものは白眼視され、嘲笑される。ましてや30年前においては、「常識」に逆らった出る杭に対する圧力はさらに脅威的なものであったと想像できる。

戦後、日本は戦時下で培われていた思想を一気に捨てようとした。社会の構造の変化とともに、精神的な文化をもリセットし、全く新しく作り直そうとした。しかし、国や人民の歴史というものは、今まで連綿と続いてきたものを引き継いでこれからも続いていくしかないのであって、国の制度が変わったからと言って、今までに起こったことをなしにできるわけではない。無理矢理消そうとした戦争の記憶がひずみを生み、問題を引き起こしていたが、常識はそれを指摘することをよしとしなかった。時折、常識は、人道的に正しいとされることに真っ向から反対することがある。その中で、大きな流れに飲み込まれず、正しいことを正しいという、ただそれだけのことがいかに難しいか、考えさせられる。

 

    『現代詩文庫172 続続 吉原幸子詩集』 思潮社

    『現代詩手帳特集版 吉原幸子』 思潮社

詩のフリーペーパー『詩ぃちゃん』を発行している大阿久佳乃さんと話をしていたら、吉原さんの詩が読みたくなった。

吉原さんの詩に通底しているのは、強烈な愛情だと思う。痛みを伴うほどの強い愛が、息子さんに、お母さんに、男性に、猫たちに注がれている。

いま人気のQUEENの歌に、”Too much love will kill you”という曲があるが、強すぎる愛というものは、時に相手を押しつぶし、自分をも焼き尽くしてしまう危うさをもっている。これは想像に過ぎないが、吉原さんは、詩という自分の愛情を抽象化する手段を持っていたことで、いくぶんか救われていた面があったのではなかろうか。詩の中では、吉原さんのあふれ出る愛情は私たちの胸を揺るがし、切々とした感動を与えてくれる。

ちなみに、なぜ『続続』なのかというと、この本の表紙に書かれている「あのひと」という詩がたまらなく好きだからである。この詩は合唱曲になっているのだが、何度聞いても泣いてしまう。それは、この詩が私のマザーコンプレックスを否応なく刺激するのと、この詩に書かれていることがいつか必ず自分にも訪れることを、認めたくないのに思い出させるからかもしれない。

 

以上、イモコの今月の10冊でした。

普段読み流しているので、いざ感想を書こうとすると四苦八苦でした…。

これからも、いろいろな本を読んで、ここで紹介していきたいと思っています。

みなさんも、面白い本があれば、じゃんじゃん教えてくださいね~。